烏龍茶問題

  • 2018.09.02 Sunday
  • 00:36
「冷たい烏龍茶なんてない」
九龍のある飯店の支配人はピシャリと言った。こういうときの香港人というのは、日本人から見ると、これ以上ないというくらいに尊大な態度である。さすが華人である。日本人だったら、他人に対して、ここまで偉そうな態度を取れない。内閣総理大臣だって取れない。文化的なわが国においては、そこまでの根拠が無いし、とにかく後でモメ事になるのを極端に嫌がるからだろう。
「全く、日本人は」
モノを知らない、夷の日本人め、という雰囲気が伝わってくる。21世紀においても、我々は華として扱ってもらえない。
「じゃ、じゃあ、鉄観音ください」
「うむ」
支配人は茶を運んできた。
「茶の淹れ方はわかるか?日本人」
「わかりません」
僕は本当に何もわかっていなかった。当時の僕にとって烏龍茶といえばサントリーの烏龍茶であった。ペットボトルで冷たくして製氷機の氷入りである。そんなこと怖くて、この場で言える雰囲気ではなかった。もう、華人のいうことを素直に聞くしかない。
「先生、教えてください」
諦めた。僕は改めて儒教的な態度で臨んだ。
「そうか。それならば、教えてやる。まずは、茶器を温めて、洗茶をするのだ」
それから支配人は茶の起源、歴史、分類などについて延々と語った。そして手取り足取り鉄観音の淹れ方の指導が始まった。
 僕は上海蟹の麺を食べに行ったのだが、肝心のその料理の味はイマイチよく覚えていない。しかし鉄観音の香りと糖蜜みたいな甘みは忘れない。

 「さてと」
ここまで書いたら、何か飲みたくなった。せっかくだから、今日はいつものコーヒーじゃなくて、烏龍茶を飲もう。
(鳳凰単叢)
日本語でホウオウタンソウと読む。鳳凰山のたった一つの茶木から作られた、という意味だそうだ。高級烏龍茶を代表する銘柄の一つでもある。横浜中華街の専門店で僕はこの茶を買ったのであった。
 鳳凰単叢は半発酵の青茶であり、いわゆる我々のイメージする烏龍茶である。鳳凰山の岩がゴツゴツしている処の、樹齢数百年という茶木の葉で作るそうだ。今日の中国では、良品になると、あっという間に100グラム1万円に達するらしい。それは広東省潮州の生産地価格において。
 僕は洗茶を1回行った。やかんでお湯をカンカンに沸騰させる。そして一煎10秒である。鳳凰単叢は熱湯でサッと淹れるのが適しているらしい。
 ズズー。うーん。旨い。お茶のボディに呼応する言葉が見当たらないのだが、そのあとに苦みとエグ味が来るだろうなと身構えた瞬間に、甘味に変わるのは見事である。そして下北沢のアパートのいい加減な水道水で淹れているにもかかわらず、水の一滴一滴がキラキラしている。たったの10秒間浸しただけなのに、優れたお茶っぱとはなんという力を持っているのだろう。
 
 そして烏龍茶で一服していると、点心が食べたくなりますね。香港式のシュウマイが食べたい。美味しいのは売っていないから、自分でつくるか。
 

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豆油肉

  • 2018.05.04 Friday
  • 16:28
 久しぶりに(食は広州に在り 邱 永漢 1975年初版)を手にとった。不滅の食のエッセイだと思うが、読むと気持ちいいだけでは無くて、読み進むと腹が減ってきて、挙句の果てには書いてある料理を作り始めている、という強大な力を持った名著である。
 この本の、読んでいただくしかないのだが、その力強い文章は、広東料理の基本的な家庭料理から料亭料理に到るまで、中国の歴史やアジアの比較文化論なども交じえて、よくわかるように書いてある。
 大人になって、僕が香港に通うようになったのも、この本を読んだからだ。
 生まれて初めて香港に到着して、地下鉄やフェリーの乗りかたに戸惑ったりはしたが、食べるものについてはまったく迷わなかった。朝、ホテルを出ると、一直線に中華粥を食べに行き、その後腹ごなしの散歩の途中に飲茶屋で一服である。焼売や粽や肉饅をつまみにジャスミンティーを飲む。落ち着いたら店を変えて、雲呑麺をいただく。昼まで一気呵成であった。
 香港は食の都で、屋台から金ピカの料亭まで、安物から山海の珍味まで、いく層もの食堂があった。高級料亭は探すしかないが、日常的な食べ物なら、チラッと見渡して客が外まで溢れているような店に入れば、まず、外れることはない。今はiPhoneがあるから説明するまでも無い。
 さてと、下北沢のアパートである。布団に寝そべってその本を読んでいた僕は、どうしても豆油肉が食べたくなって、いてもたってもいられなくなった。豆油肉とは豚肉の醤油煮である。
 僕は近所の肉屋へ向った。豚のモモ肉を塊で500グラム切ってもらった。脂はついたままの肉の塊である。
 塊を3つに切った。鍋にごろっと入れる。他にネギを3本白いところから先まで5cm程度に切って入れる。醤油と水を半々がオリジナルレシピだ。僕は少し味醂を入れる。さあ、これだけで、あとは気長にトロ火で煮込むだけである。
 煮上がった肉を取りだして、好きなだけ包丁で薄切りして、残った肉は鍋に戻す。この料理が素晴らしいのは、冷蔵庫のない時代の人が考えた、保存料理である、というところだ。一日2回か3回か、メシ時に、鍋の醤油を沸騰させると、僕の経験では1週間弱はまったく問題が無いし、肉はますます味が濃くなって旨くなる。それは塩辛くはならない。うま味が濃くなる、という変化をしてくれるのがこの料理の不思議なところだ。
 そうそう、忘れてはならない、固茹で卵と干し椎茸を鍋にぶちこんでおくのだ。茹で卵は水分が飛んで行く感じで、どんどん小さく固まっていくが、これが旨い。ひとつの卵で御飯が一膳食べられてしまう。流行りのラーメン屋の黄身のトロっとした煮卵に慣れた人にはショックな醤油色かも知れないが、昔の塩ジャケを懐かしむ人には抵抗なく食べてもらえるのではないか。干し椎茸は肉の味にもうま味を与える。
 そして肉が無くなる頃には、鍋底が近ずいてくるが、この残りものでメンマを煮るのである。塩メンマを一晩水につけて塩ぬきし、豚のバラ肉と一緒に煮こんでやると、これまた素晴らしい料理の完成である。このメンマもやはり出来たてよりも、翌日の方が旨い、いや翌々日の方が旨いかもしれない。
 

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カオマンガイ風チキンライス

  • 2018.04.08 Sunday
  • 00:28
 開高健がベトナム戦争に従軍して最前線をほっつき歩いていたころ、政府軍のベトナム兵はお茶を飲むのも料理をつくるのもヘルメットひとつでやっていたそうだ。メットをくるりとひっくり返して煮込み料理だとか、ご飯も炊いちゃう。戦隊には生きた鶏をベルトに挟んで、よっちらこっちら前線に向かう兵士もいた。 
 鶏は新鮮なのが最上だから、戦場で首を落としてむしって煮込んだ鶏はうまいんだろうなあ。いつ銃弾にやられるかわからない最前線のジャングルで、しめて煮こんだ鶏肉のうまさはどんなものなのだろう。僕には試しようがない。
 という事でカオマンガイ風チキンライスでも作るか。
 僕は下北沢のアパートを出てスーパーオオゼキに向かった。鶏もも1kg、生姜ひとかけら、小ねぎにきゅうりを買う。
 タイのジャスミンライスは棚に常備してある。この料理は日本の米で作っても全くピンとこない。あくまで東南アジアの長粒米が必要だ。
 タイ米を洗って、1対1で水を投入して火にかける。生姜ひとかけらとウエイパー1さじもいれた。焦げつきを少なくする為には、途中で米をかき回したほうが良い様だ。鶏モモを軽く水で洗って塩と酒をふる。お米が煮立った頃に皮を上にして鶏を鍋に入れた。フタをして蒸気が漏れない様に15分煮る。そして10分蒸らす。
 横では小ねぎを刻んでぽん酢と胡麻油でソースが完成。パクチーが好きな人は加えれば良い、よりカオマンガイに近い料理ができるであろう。そしてキュウリは叩くほうが食感がいいように思える。
 さあ、25分で出来上がりである。
きゅうりのタタキの小皿、ポン酢ベースのソース。鶏はフォークで取り出して俎板で小片に切り分ける。大皿にたっぷりとご飯をよそって鶏のぶつ切りを添えた。いただきまーす。
 ソースをネギごと肉にぶっかける。きゅうりもまぶしちゃう、ごはんも適当に混ぜたら、一塊にしてほう張るのである。もぐもぐ、もぐもぐ。う、うまい。死ぬほど美味い。これレベルの食材の組み合わせは世界広しと言えどもなかなかあるもんじゃない。イギリスのエッグマヨサンドにミートパイ、フランスのハムチーズサンド、日本ならTKGか塩ジャケ飯、あとはピタパンに羊の焼き肉、ジョージアのチキンサンド、中国の焼味飯、韓国のカルビビビンバなどの至高のレベルに達している。その土地で最も当たり前の食材で作った、安くてうまい貧乏人のご馳走だ。貧乏人はえげつないもの食ってまっせー。
 フォアグラとか松茸とかトリュフにキャビア、燕の巣とか干し鮑ももちろん美味いけど、あまりにも高価だし、もう美術品扱いなんだよね。ヴァニティフェアなんだよ、食材に貴賎なし。例えば煮魚で最高はイワシだと思う。イワシをくっつり煮こんだものより旨い魚があるというならもってこい、と言いたいです。
 ところで東南アジアには、各国それぞれの鶏めしがあって、それぞれ気の遠くなるような旨さである。広東料理だと鶏入りの粽、ベトナムにも餅米を使った鶏めしがある。タイのカオマンガイに、シンガポールのハイナンライス。味付けやソースや仕上げに変化はあるも、鶏と長粒米を使うところは一緒です。
 最後に、残りものを鍋ごと冷蔵庫に冷やしておく。冷えたチキンを細かく切って、ねぎを焦がしてチキンと冷や飯のチャーハンにすると、夢のチャーハンのできあがり。
 2度美味しい。
 

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医学部受験と医者

  • 2018.03.23 Friday
  • 22:18
 医学部受験がここ数年、大変なことになっているらしい。
 すべての医学部の偏差値が軒並み上昇して、例えば私立の慈恵会医科大学は70を越えている。日本医科大学は67.5、東大理3は76.8という空前の値だ。なんじゃそりゃ。聖マリアンナ医科大学も64。す、凄いな。
 昔と比べて、偏差値に大きな変化が無いのは東大理3だけ。その理由は今も昔も日本一の難関だからで、その他国公立大学の医学部や私立医大は大幅アップ。これじゃあ、本当にガリ勉じゃないと医学部に入れないじゃないですか! 偏差値だけを見ていると東大理2よりも慈恵医大のほうが難しい、というのも凄い。
 僕は昭和の時代に東邦大学医学部に入学した。まあ、当時の東京受験界では、「東邦かあ、医学部だからまあまあだけど、ちょっとアホかも・・・」くらいの感じで、可不可なし、という程度の評価だったと記憶している。偏差値も52から55くらいだったと思う。
 でも、医学部に入ってからの勉強は本当に大変だったし、ちゃんと勉強しないと間違いなく留年するし、国家試験に落ちてしまう。勉強量が凄いので途中で鬱病になり、落第してコースから外れていく人もいる。なかなかハードな理系の勉強の世界。
 
 僕はニューヨークにいた。20世紀末のニューヨークは、寛容で自由なメトロポリタンであった。
「仕事はなにしてんの?」
「医者、東京で」
「へえ、お前、頭良いんだなあ」「サラリーいくら?」
「10万ドルくらいかな」(当時は1ドル120円ほど)
「ふーん、まあまあいいじゃん。でもアメリカの医者は給料高いぞー」
「いいなあ」
「おい、あそこのハゲてる男、見えるか? あいつはパソコンソフト会社の社長で、資産1000億円あるらしい」
「1000億円!」「スゲー」
世紀末のニューヨーク、ネットバブルがおきる前夜であった。

 区立小学校の教室。窓から春の光が机を明るくしていた。今は漢字テストの時間である。生徒はいっせいに机に伏して漢字を書いていた。
 僕は左右に伏し目を走らせた。そして左隣のエミちゃんを捕らえた。僕は小声でささやく。
「勉強してくるの忘れた」
「・・・」
「ひとつもわからない」
「・・・」
「ゴメン、エミちゃん、ちょっとだけ見せて」
「しょうがないわね、ヒロシ君、早くして」
エミちゃんはガンガン漢字を書きながら、体を少し起して解答用紙を机の右側にずらしてくれた。ちょっとクセがあるけれど、黒い丁寧な書き方の漢字の正解が丸見えであった。エミちゃんはクラスで2番か3番の成績優秀のかわいい女子。僕は必至に書き写した。ありがとう、エミちゃん。この恩は一生忘れない、と小学生の僕は心の中で叫んだ。彼女は井ノ頭公園の近くのミッション系大学の付属中学校に進学した。
 昭和のセピアな時代であった。

 ストックホルムの夏は素敵だった。僕は何人かとテラスでビールを飲んでいた。スウエーデン人の英語は何となく間延びしてのんびりとしている。夕方から飲み始めていま何時なんだろう。空はまだ明るい、いつまでも明るい。
 僕はヨーロッパの学会に参加していた。僕の発表は会場の関心を捉えなかったみたいで、質問する人はゼロだった。拍子抜けしてしまったが、壇上から席に戻ってホッとした。なぜなら質疑応答の英語にまるっきし自信が無かったからだ。
 すぐ後にイタリアの女性医師が発表した。これがとても面白い内容で、発表後に質問が殺到した。イタリアの女性医師は、多分、研修医ホヤホヤなんだろうなぁ、と思える程に、若くて美しく、そして英語があまり上手ではなかった。相当にがんばって質疑応答していたが、4人目くらいのゲストのアメリカ人が鋭い質問を連発した。強く舌を巻きまくるネイティヴスピーカーの彼は、早過ぎて何を言っているのかよくわからない。まるでチンピラが巻きながらかわいい女子を不当に虐めているみたいにみえる。ヨーロッパに来てしまうと、アメリカ英語なんてそんな扱いなんだなあ、と僕は感激してしまった。そしてイタリア女子は真っ赤になって、最後、言葉に詰まってしまった。
「代りにお答えします」会場の後ろで手が挙がった。イタリア北部の大都市の有名なプロフェッサーだった。少しはにかみ気味ながらプロフェッサーは英語ペラペラであったが、イタリア訛りがきつかった。でも僕にはわかりやすかった。
 イタリア人は日本人にそっくりだな、と思った。

 「あなたの発表はとても素晴らしかったわ」
発表のあとのパーティー会場で僕は声を掛けられた。ノーベル賞で有名なホールである。僕の後に発表したイタリア女子だった。近くで見るとセレブみたい。
「ねえ、英語の発音がとても綺麗だった」
「あれはね、英語の原稿をマッキントッシュのソフトに読ませて、その音を真似したんだ」
「なんていうソフト?」
「そういえば、君の発表はとても面白い内容で、実は僕も質問があるんだけど」
「それよりイタリア語、教えてあげよっか。よーし、今からイタリア語で話そう」
パーティー会場だと、イタリア女子はだいたい地球の中心みたいな感じだ。全然日本人に似ていない。
「イタリア語で何か言ってみなさい」
「ワタシはイタリアで、豚のT–Boneステーキを食べるが夢デス」
「あれ、結構、大きいのよ」
「1kgくらいなら、独りで食べられマス」
「凄いじゃない。ミラノに来たらおいしいビストロに連れてってあげるわ」
「ええ、本当! お願いシマス!」
世界はiPhone誕生前の時代であった。

 僕は夏のロシアにいた。夕方にビストロをめざして歩いていた。大通りの歩道はデコボコなのでついつい下ばかり見てしまう。日本人は猫背だなー、と言われない様にがんばって胸を張る。周りを見渡すと大股で歩いているのは若いロシア女子である。体格のいいロシア男もいるはずなのだが、なぜか歩いているのは女子ばかり。ほとんどミニスカにピンヒールでちょっと不思議な光景である。ロシアの街はヒールが痛みそうでなんだか怖い
 iPhoneとVISAカードはジーンズのポケットに入れてきた。パスポートや滞在許可証は持っていない。
 行きつけの店に到着した。こんにちわ〜。僕は小腹が空いているのであった。今日はいつもと違うもの頼もうかな。テーブルにはロシア語のメニューがあった。それを開いて、僕はiPhoneを取り出した。グーグル翻訳でビデオ画面のままロシア語が英語に翻訳される。wifiがなくても大丈夫。もう本当に一瞬でロシア語のメニューを隅から隅まで理解出来る。よーし、特製黒パンとボルシチを頼もう、それからベラルーシ風ピロシキも旨そうだ。ボルシチは赤かぶのスープで、ピロシキは肉入りの揚げパンである。
 黒パンに赤いスープが入っていた。スメタナというサワークリームが添えられている。赤、白そして黒のコントラストがとても綺麗であった。そして僕はピロシキにかぶりついた。あちち。モグモグ、モグモグ。どこがベラルーシ風なのかよく分からないが、アンは挽肉と玉ねぎにジャガイモである。手作りの新鮮なコロッケみたいに美味しい。本当に美味しい。今日はコーヒーじゃなくて、やっぱり紅茶を頼もうかな。
「温かいレモンティ下さい」
ズズー。はあ〜。やっぱりその土地の本来の飲み物は説得力が違う、ピロシキに抜群に合うのであった。みっつもたべちゃった。満足だ。もう食えねえ。
「会計おねがいします」テーブルにカードリーダーがきて、VISAカードを挿入し暗証番号を打ったら終了であった。
 そういえば、ロシアでは伝統的に医者と学校の先生の給料は安いらしい。昔、スターリンがそういう風に決めてしまったそうだ。農業とか工場で働くのが尊いのである、医者とか先生はそれなりに大変なのは分かるが、そんなに尊くない、というか威張るな、という観念なのだろうと思う。

 
 
 

 
 

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下北沢のアパートでリーバイス501シュリンクトゥフィットを洗う

  • 2017.10.22 Sunday
  • 11:20
 とうとうリーバイス501シュリンクトゥフィットを買ってしまった。
 シュリンクトゥフィットとは(縮んでフィット)と訳せばいいのだろうか。とにかく洗うと縮んでいってしまうジーンズのことである。昨今はほとんどすべてのジーンズに縮み予防や色落ち予防加工が施されているので、洗濯するときに、あまり頭を悩ます必要がない。しかしシュリンクトゥフィットは洗濯すると、バンバン色落ちするみたいだし、グイグイ縮んで行ってしまうらしい。
 現在、アメリカのリーバイス501には大きく2つのラインがある。一つはオリジナルフィットで、もう一つがシュリンクトゥフィットだ。
 501オリジナルフィットは現代的なジーンズであり、洗濯機で洗っても、当然のようであるが、縮まない。
 501シュリンクトゥフィットはウエストで1から2インチ、レングスで3から4インチ縮むらしい。そしてインディゴの色落ちも激しいらしい。
 僕はリーバイスのホームページをよく読んで、大きめのサイズをオーダーしたのであった。

 下北沢のアパートに荷物が到着した。
 僕は新品のリーバイス501シュリンクトゥフィットを手に取った。お、重い。なんなんだこの重さは。そして、試しに履いてみた。かっ、硬い。なんなんだこの硬さは。まるでダンボールの箱を履いているみたいだ。ウエストはぶかぶかだし、長い裾は袴みたいに足に纏って、転びそうになった。
 約1年前、インターネットで僕はリーバイス501シュリンクトゥフィットを見つけた。そのとき僕は新しい501を買おうと思っていたのだ。そして、ふと1980年頃のリーバイス501を思い出した。
 The Clash の London Calling がリアルタイムで流れる渋谷のジーンズ屋であった。
「501欲しいんだけどこれでいいかな」
「いや、もう2インチ長めのレングスにしときな。洗うと結構、縮むから」
ジーンズ屋の店長さんは僕にぴったり合う501を選んでくれた。当時は通称赤耳モデルである。そして新品の501を持って家に帰ると、母親が嫌な顔をした。
「他の洗濯物と一緒にしないでね」
当時は、良きエージングみたいなものは、全然考えていなかった。海に行ったし、サッカーをしたり、花壇の石に座ったり、とにかく毎日ガンガン履いて、そして洗濯していたのだ。
 さあ、2017年現在の501シュリンクトゥフィットだ。まず、洗おう。
 風呂にお湯を張った。僕はジーンズを履いたまま湯船に浸かった。いわゆる一緒にお風呂に入る洗濯法を僕は選択したのだ。
 そして湯船を出て、洗い場で少しジーンズを乾かす。水がしたたり落ちなくなったら、そおっと脱いで、そのままベランダに持って行き、洗濯ばさみを10個くらい使って干した。
 ふう、一仕事終わった。僕はコーヒーを淹れてベランダに戻ってきた。
 洗濯竿に干してあるジーンズを眺める。
 ジーンズは立体的に僕の形状を保ったまま、どんどん乾いていく。なんか凄い。どういう技術なんだろう。触ってみるとハリがあって木綿の生地というよりは形状記憶合金みたいだ。膝の後ろを見るといくつかシワが入っている。膝頭を見ると少し生地が縦に伸ばされている。なんか凄い。赤耳と全然違う。とにかく立体的だ。
 僕は、501シュリンクトゥフィットは、唯の復古主義のジーンズだと思っていて、現在まで手を出さないでいたのだ。しかしそれは間違いだった。これは明らかに新しい501だ。
 これからどんどん履いてみますね。
 

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マルちゃん焼きそば

  • 2017.09.18 Monday
  • 21:36
 キャベツと豚の細切れ肉そしてマルちゃん焼きそばを買った。まだお金があったので、タコの刺身も買った。そして僕は下北沢のアパートに帰った。
 まずタコぶつだ。包丁でタコの足を乱切りする。そして楊枝を刺して、まな板の奥に置いてしまう。タコぶつをつまみながら、僕は料理をするのであった。
 コリコリ、もぐもぐ。うーん、このタコぶつ、すごく旨いじゃん。
 それはモーリタニア産の小ダコであった。安くてとっても美味しい。モーリタニアは西アフリカである。スペインから南下してジブラルタル海峡の向こうはモロッコである。地中海に入らずにそのまま大西洋を南下するとモーリタニアだ。西アフリカ沿岸は素晴らしい漁場だそうだが、現地ではタコをほとんど食べないらしい。だから端からどんどん日本に売るそうだ。もちろん銀座の寿司屋の、生の明石のタコをよく揉んだみたいな、栗の花の匂いやほっくり感はないけれども、モーリタニア産の小ダコはとても美味しい。
 僕はタコぶつをコリコリやりながらキャベツを刻んだ。次に豚の細切れ肉を切って薄塩を振った。そしてマルちゃん焼そばを取り出した。
 マルちゃん焼そばは調理するときにほぐれにくいのと、ソースの粉が固まりやすいのが難点なのだが、僕はネットで見た北斗昌さんのレシピが好きだ。そばをボールに開けて、ミリンを振って麺をほぐしたところにソースの粉をまぶしておくのである。箸でかき回すと麺は完全にほぐれるし、ソースも均等に絡んでくれる。
 ところでマルちゃん焼そばは、昔からスーパーの麺売り場にあって、最近は存在感が増しているように思う。1975年に誕生し、現在、麺の売上日本一だそうである。カップラーメンの上をいく年間3億食で、とてつもないベストセラー商品なのだそうだ。
 さあ料理開始である。フライパンを熱くして、豚肉を炒めた後に、キャベツを投入した。適宜、蓋をして蒸気で火を通したりしながら、最後に麺を入れた。麺に焼き目がついたら完成である。本当に簡単ですね。そして同時に目玉焼きも作った。
 大皿に焼きそばを盛る。青海苔をしっかりとふりかける。目玉焼きを乗せて、紅生姜を脇に置いた。さあ、マルちゃん焼きそばの完成だ。
 僕はホカホカの焼そばをかっこむ。アチチ、ハフハフ。粉末ソースなのだが、なぜかリアルに旨い。甘くてパワフルなソース味と紅生姜のさっぱり感に、青海苔が磯臭くて最高である。そして次に目玉焼きを突き崩す。焼き加減は、黄身はとろりで白身は硬く縁は茶色く揚がっているのが好きだ。そして黄身とソース焼そばが混ざると、一体化してマイルドになりながら、コクが増すのであった。ソース焼きそばに目玉焼きは、ガパオライスに目玉焼きと同義なのである。
 そして心外なのだが、とても合うのが、タコぶつなのであった。今日はたまたま冷たい突き出しとして用意した。しかし実は焼きそばのツマとして鉄板な存在なのかもしれない。タコぶつをコリコリやっていると、口の中が洗われるようで、ソース焼きそばが進むのであった。
 ところで下北沢のスーパーでマルちゃん焼きそば3人前は258円だ。相当に高いと思う。地方だと200円しないところもありますよね。ちなみに下北沢北口のローカルなスーパーでは、3人前の袋をバラにして、一人前で売っている。一人前の方が売れ行きがいいみたいだ。それからこの店の名物は、一袋6個入りのロールパンとソントンのチョコレートクリームである。一番いい棚に陳列してある。それは美味しいチョコレートパンが6個もできてしまうので、この界隈では大人気なのであった。
 僕は食後にコーヒーを淹れた。パスコの超熟ロールを袋から一つ取り出して、指で割ると、チョコレートクリームをたっぷりと塗った。マンハッタンのホットドックの屋台で、コッペパンをフォークでザクザクと割っていた。シェイクシャックに行ったら、バーガーじゃなくてホットドックを3つたのみたい。
 僕はベランダに出た。コーヒーマグとチョコレートパンを持って。パクッ、もぐもぐ、ズズー。はあー、マルちゃん焼きそばの食後にぴったりのデザートなのであった。
 
 

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ロシアの日用品とシナボン

  • 2017.06.11 Sunday
  • 19:27
 僕はカリニナ通りのアパートを出て、トロリーバスの停留所に立っていた。今日の天気は晴れ、マイナス15度の昼下がりである。黄色いトロリーバスは5分と待たずにやってきた。手を上げて、僕は少し大袈裟に乗車のアピールをした。ロシアに来ると自己表現が過剰気味になっている。まあ、僕にとってはいいことであり、長女に言わせるとちょっと恥ずかしいとのことである。 
 トロリーバスに乗り込む。後方の空席に座る。車掌がきたので、用意していた25ルーブルを渡した。お釣りとチケットをもらった。50円ほど。
「スパシバ」
僕はロシアにいるととにかくスパシバ(ありがとう)と言っている。当たり前のやりとりをするとき、そして「いらない」と断るときには、必ずスパシバと言うようにしている。英語のノーサンキューである。ロシア人の厳しい表情が少し緩む感じがする。
 ロシアのハバロフスクは中国と国境を接する極東地方にある。人種はロシア系の白人がほとんどで、高麗系の人たちがいる。日系は極端に少ない。
 10分走るとシベリア鉄道の近くに来たのでトロリーバスを降りた。幹線道路の立体交差があり、その周囲の土地は再開発されていて、ショッピングモールになっている。
 僕の目当ての店はスーパーマーケットであった。街一番の大きさで、値段も安くて、地元で人気のスーパーマーケット。2階は日用品売り場になっている。
 店内に入ると、警備員が数名いた。引き締まった体躯をした若い男たちである。動きがしなやかだ。
 今のところロシアにおいてスーパーマーケットと警備員は切っても切れない関係みたいだ。

 店内は女性が多い。フードにファーのついた黒いハーフコートをよく見る。しかしミンクのロングコートも時々見る。おばあちゃんが多い。そして毛皮の帽子を被っている。
 冬のハバロフスクは帽子に手袋そしてコートが絶対に必要である。マイナス30度の世界は、チェスターコートを着ていられる状況ではなくて、天然素材ならミンクなどの毛皮、現代的には防水性素材にダウンのインナーが必要になると思う。そして首の保護がとても大切で、うなじを露出しているとあとで頭痛に襲われてしまう。だからウシャンカというファーのついたロシア帽は、イコンではなくて本来は機能なのだと思う。
 ところで今日の僕のお目当はキッチン用品なのであった。ロシアでしか買えないキッチン用品を探すのだ。
 あ、いいフォーク見つけた。縦のストライプのフォーク。素材は薄めのステンレスで、ペラっとした感触だが、重心の位置は完璧である。持ち手は滑らかで、フォークの先は平たくて尖っている。なかなか鋭いので皿に当たるとカチッと音がしそうだが、回転もしやすいし、軽いので手と一体化するのが素晴らしい。大きさも中庸である。うーむ、なかなかいいフォークじゃないの。朝飯の目玉焼きを切ったり突いたりするのに、とても使いやすそうだ。170円なので、6本買おう。日本では見たことのない意匠のフォークなのであった。東欧の四角いコンクリートの建物みたいに素っ気ないけど、使い易いに違いない。
 次に茶こしを見つけた。緑のプラスチックに網が張ってある。子供のおもちゃみたいだが、シンプルでいいデザインだ。使用目的と素材の安っぽさのバランスが絶妙に取れている。150円なので中型のサイズを2個買ってみる。僕は冷たいジャスミンティを常飲するので、茶こしは毎日、何回も使うのである。
 るんるんるん。
 僕は調子よくショッピングしていた。コンランショップの10分の1の値段で、欲しいものが見つかるのは楽しい。ロシアの日用品売り場はなかなかの宝庫である。
 しかしどうにも触手が伸びないものもある。それは食器類。イケア的なシンプルモダン傾向にあるとはいえ、メインの商品はまだまだ保守的なようだ。言い換えればロシア文化的である。文化というのは部外者が見るとエキゾチックである。しかし、ときどき滑稽なこともある。
 ロシアの食器はやはりティーカップとソーサーに象徴されると思う。薄くて金縁の花柄の、色は赤系。値段は350円にしては綺麗だが、もちろんプリント焼きの安物である。ロシアのおばあちゃんぽいというか。失礼かもしれないが、おばあちゃんはロシア語でババシュカ。ババシュカのお手製ボルシチは最高に美味しい。
 商品棚から、ピンクの薔薇のティーカップを手に取ってみる。薄手で口元が開いていて、縁が金色に塗られている。持ち手に入るのは、僕の人差し指の先だけだ。第一関節が通過しない。ぐいっとマグみたいにモテないのである。思わず小指が立ってしまいそう。そうなると、内容量は220mlくらいか。僕には全然足りない。350は欲しいところである。
「うーん。こういうのは絶対買わないよな」
でも見るだけなら、本当に楽しい。ババシュカー。壁一面にティーカップとソーサーが並んでいた。
 赤金系だよなあ、ロシアだロシア。本当にこんなにたくさん売ってるよ。
 店内は広く、全ての商品を見ることができなかったので、明日また来ようかな。時間が来たので、おやつを食べに隣のショッピングモールへと向かった。長女と待ち合わせをしているのであった。

 約15年前の東京。吉祥寺にシナボンがありシナモンロールを盛大に売っていた。アメリカ生まれで、日本においていくつかのチェーン店舗を展開したようだが、いつの間にやら撤収されてしまった。そのあとは米軍基地でしか手に入らない幻のスイーツであった。
 2017年現在、再チャレンジということで、六本木ヒルズ近傍に小さな店舗がある。アメリカ人を中心にかなりの人気のようである。が、しかし、実際に食べてみると、昔に比べて、甘さもカロリーもイマイチ迫力にかけるシナモンロールなのであった。アメリカンオリジナルは日本人に受け入れられなかったから、いわゆる甘すぎなくて美味しいスイーツを目指しているのかもしれない。
 そんな日本の小難しい事情とはかけ離れているロシア・ハバロフスクである。
 ハバロスフクにはシナボンが2店舗ある。どちらの店も混んでいる。そしてその甘さや美味しさは、とても良いらしく、うちの長女曰く、
「ハバロフスクのシナボンは美味しい」「日本のシナボンはまずい」「ロシアのシナボンは美味しい」
シナボンはアメリカのチェーン店なんだけど…、よーしわかった、そこまで言うなら、ハバロフスクのシナボン食べに行こうぜ。
「いーわよ」「絶対ハバロフスクの方が美味しいから」「食べてみないことには話しにならん」というやりとりを日本でやっていたのであった。

 シナボンに到着した。ママと長女が待っていた。長女は日本語とロシア語を話せるので、通訳を頼む。
「自分で頼んでよ」
「お前、ロシア語、話せるだろ」
「話せるけど、話したくないの」
「そんなこと言わないで、通訳してよ。コーラとシーザーサラダとクラッシックシナボンとコーヒー」
「そんなにいっぱい?」
「コーヒーはアメリカンコーヒーのLサイズね」
「そんなの自分で頼めばいいじゃない」
「あったかいやつ」
 思春期の長女はなかなかつれないが、きちっとオーダーしてくれたようだ。3人分のトレーを持って席を探した。
 座席は日本と違ってゆったりとしていた。六本木ヒルズ近傍のシナボンの店は狭い。これはもうどうしようもないことだが、日本を離れると世界はゆったりと座れるのであった。
 クラッシックシナボンは看板商品のシナモンロールである。バターやクリームチーズであろうか、見るからにクリーミー。さらにべったりとシュガーコーティングされている。日本のシナボンの倍だな、と直感的に思う。甘さとカロリーである。
 一口食べる。もぐもぐ、もぐもぐ。予感は当たった。とてつもなくパワフルだ。甘くてクリーミーでシナモン風味のベタベタの菓子パンである。今まで食べた中で、最もパワフルだ。横田基地のお土産よりパワフルなんじゃないか。日本のスターバックスのシナモンロールの20倍くらい甘い。思わずコーヒーを飲む。
 うーん。六本木とハバロフスク、どっちが美味いだろう。というか比較にならないくらいハバロフスクの方がパワフルだ。まるで井川遥とスカーレットヨハンソンを比べているみたいに。どちらが良いのか、という問題にならない。
「ハバロフスクのシナボンの方が美味しいでしょ」
長女に迫られる。
「うーん…」
「美味しくないの?」
「いや、すごく美味しい。ハバロフスクのシナボンは美味しい」
「日本のシナボンより美味しいでしょう」
「うん…、そうだね。でもさ、井川遥って本当に綺麗なんだよ」
「何?」


 
 


  
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 

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ロシアのバナナの旬

  • 2017.04.22 Saturday
  • 20:40
 もう4月である。1月のロシア旅行から時間が経って、細かなディテールは忘れ始めている。
 マイナス30度で道路が完全に凍る街を旅してみて、僕はいくつかの経験を得た。
 一つは防寒着の重要性である。
 日本のウルトラマイクロダウンで突入したら5分と持たない。ビーニーも厚手の物が必要だ。そして凍っている道路を歩くのは、足が強くないとなかなかできないと思う。特に下り坂が危険だ。 そして建物の中は温水暖房でホカホカである。内外の気温差が50度ある。建物のドアを開けると空気が音を立てて交錯する。ビュッとカマイタチが通る。
 カリニナ通りのアパートの近くには中央市場があった。広さは築地の魚市場並み。商品を山積みにした小さな店がぎっしりと並んでいるが、サラミなどの豚肉加工品、チーズ、魚、お菓子、肉、野菜など、それぞれが専門店でとても賑やかなのであった。
 ところで、こういう極寒の地で、果物は何を食べているのだろう、ふと疑問に思った僕は、果物屋を探した。ラズベリー、ブルーベリー、りんごが目についた。りんごは赤だけではなくて洋梨のような色をしているのも人気である。そして、ここロシアでもバナナがスーパースターなのであった。店の商品棚の中央には、黄金色のバナナが鎮座していた。
 バナナの産地は南国である。フィリピン、エクアドルなどが有名だ。日本のスーパーマーケットに並んでいるバナナも、ロシアのバナナも、輸入品だから基本的に同じものが陳列されているのである。
 僕はママと市場に来ていた。日本人は市場でぼったくられるかもしれないから、心配だから一緒に行く、と案内してくれているのである。ママはロシア語しか話せない。僕のロシア語はカタコトだ。ほとんど会話にならないのだが、そこはやはり家族だから、なんとかなるのである。
 そしてママは僕の挙動に常に目を光らせているのだ。
 僕は果物屋の前に立って、物色し始めた。
 おお、スイートスポットがほどよく浮いた小ぶりのフィリピンバナナがあるじゃないか。甘くて旨そうだ。ロシア人もいいバナナを食べてるんだなあ。僕はフィリピンに手を伸ばした。
「ニェット!」
突然、ママの警告が出た。(ニェット)とは(だめ)という意味である。
「エータ!」(これ)
ママの手の先には大きなグリーンのエクアドル産のバナナがあった。
 えー。小くて黒ずんだフィリピンの方が絶対美味しいと思うんだけどなあ。皮が薄くなってて、香りが強くてしっとりとして、甘くて美味しいバナナはこのフィリピンだと思うんだけどなあ。僕は勇気を振り絞り、カタコトながらママに抵抗を試みた。
「エータ、ハラショー」僕はフィリピンを指した。
「ニェット、エータ!」ママはエクアドルをしっかりと指している。そのバナナは緑色でロボットの指みたいに四角くて固そうだ。
 こういう時のロシアの女の強さは半端ではない。ヨーロッパでも手に負えないので有名だ。ロシアの女は元共産主義大帝国の王女であり、大砲大好きであり、プライドの高さはユーラシア・ナンバーワンである。基本的にプリンセス気質なのだ。もしあなたが結婚するのなら、僕はウクライナの女性をお勧めする。見た目は大体同じだが、一般的に言って性格が優しいのである。ウクライナの女性は、男と揉めても、割と途中で諦めて従ってくれるのだ。しかし、今、僕が対峙しているのはロシアのママである。歯向かっても全くかなわないから、ママのいう通りに僕はエクアドルを買ったのであった。5本で500円。うわっ高いなあ、ウクライナ危機後のルーブル安で強烈なインフレ渦中のロシアなのであった。 
 チーズとサラミやチョコレートなども買い、カリニナ通りのアパートに帰った。
 バックからエクアドルバナナを取り出す。どっしりと大きくて硬い。不味そうである。サーフボードみたいに緑色でテカテカしている。
 一本剥いてみる。皮が硬い。嫌な予感がする。パクッと食べてみる。もぐもぐ、もぐもぐ。うーん、青臭い。甘くない。香りも少ない。こんなまずいバナナ久しぶりに食べた。どうしてママはこのエクアドルがいいというのだろう。
 とにかく熟成させないことには、どうにもならないバナナなのであった。見渡すとアパートの中で一番良さそうなのは温水暖房の上である。暖房機の上に木の棚があるので、僕はそこにバナナを置いた。

 翌日、僕はカリニナ通りのアパートでいつもの如く小説を書いていた。冬のロシアのアパートは小説を書くには素晴らしいところだ。パタパタと仕事ははかどり、そして一服したくなった。
 僕は暖かいレモンティを淹れた。ロシアンケーキをいくつかと手巻きタバコを持ってテラスに出た。テラスはリビングから2重ドアを通って出られるようになっている。室内は28度、テラスはマイナス20度だ。
 ふと、暖房機の上の棚を見ると、昨日のエクアドルがあった。
 あれ、何か様子が違う。
 テラスから戻ってきてバナナをよく見ると、色は黄味色に変化していた。たった1日しか経っていないのに。まだスイートスポットは出ていない。しかし全体的に黄色が濃くなって、皮がシナっと乾燥している。オーガニックな佇まいである。僕は一本とった。皮をむく。柔らかい。香りはそれほどでもないが、中の白いバナナがやや黄味がかっている。僕はかぶりついた。ほっくり。甘い。すごく甘い。食感は金時焼き芋に似ている。タイの屋台で食べた揚げバナナを思い出す。
 なんなんだろう、この変化は。冬の日本のリビングにバナナを置いても、食べ頃になるのに1週間はかかるはずだ。
 僕はバナナを置いていた木の棚に触れてみた。暖かいというよりは、木が熱くなっている。50度はありそうである。そして熱気がどんどん還流している。日本のリビングにはこんなに暖かい場所はない。
「そうか、バナナの低温ローストか」
そうなのだ、ロシアの温水暖房の上というのはオーブンと同じなのだ。バナナにゆっくり熱を加えることで、ほっくりと甘くなる。一日で焼き芋や揚げバナナみたいな仕上がりになるのだ。
 これは旨い。旨すぎる。僕は残りの4本を一気に食べてしまった。
 そうか、ロシアのバナナの旬は冬だ。
 そして僕は考えた。エクアドルを選んだのは、スイートスポットの出ているフィリピンバナナだとすぐに悪くなってしまうから、というママの気遣いだったのであろう。ママ感謝。
 僕はさっそく市場に出かける用意を始めた。バナナを大量に買い置きしよう。
「ママ、バナナ、フクスナー。スパシーバ」(ママ、バナナ美味い。ありがとう)
「パジャールスタ」(どういたしまして)
 


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極寒ロシアの暖房と温水の供給

  • 2017.01.07 Saturday
  • 10:35
 朝、目が覚めた。
 外はまだ少し暗いが、今何時なんだろう。iPhoneを見ると8時30分であった。いやー10時間も寝ちゃったよ。そろそろ起きなきゃ。ということで僕はのそのそとソファベッドから起き上がった。カリニナ通りのアパートは温水暖房で一日中ホカホカなのだが、毎日とても寝つきが良いのは、やはりこの温度加減が体に丁度いいのだろうな。ちょっと暑いくらいだから、小窓を開けちゃおう。
 しかし、この温水暖房は壊れることがよくあるらしい。
 ハバロフスクの郊外をドライブすると、道の傍らに直径1mくらいのパイプが並走している。パイプは銀紙に巻かれたような状態で、所々銀紙が剥がれているのだが、交差点でパイプは地下に潜らずに、地上4mくらいの凸になり、そしてまた道に並走する。なんのパイプラインなのかと思ったら、巨大工場につながっていた。温水の供給工場である。
 逆にすると、工場で温水が作られて、温水はパイプラインを通って、60万人都市の各建物の地下に流される。各建物はその温水をポンプで引き上げて、各部屋の壁側にある暖房機に流すのである。暖房機は部屋に一つ以上備え付けられていて、部屋が温められている。暖房機の上に洗濯物を広げると、ジーンズでも3時間で乾いてしまった。昔の小学校の暖房機が思い出されるが、あれよりもかなり強力というか、弁当なんか10分で十分、手で触ると火傷しそうなくらいのパワフルな暖房機なのであった。
 シャワーの温水もこのシステムに組み込まれている。そしてバスルームだけ暖房機がないのだが、S字のパイプが壁にあって、そこに温水が流れている。バスタオルを干しておけばすぐに乾くのだった。
 なかなか巧妙な暖房システムがここには設置されているのだ。が、しかし問題がある。このアパートはフルシチョフ時代のアパートである。フルシチョフカと呼ばれる1970年代製。フルシチョフはブレジネフの前だから僕の記憶にはないソ連の書記長だ。ロシアのアパートはスターリンカ、フルシチョフカ、ブレジネフカ、そして現代建築に分けられるようである。いわゆる5階建の公団住宅みたいな建物が、フルシチョフカである。共産党時代を象徴する素っ気ない建物で、東欧諸国において未だ現役バリバリの建物だ。
 温水が供給されない理由はいくつかある。まずは工場の稼働を何時にするかの政治的判断。そして工場やパイプラインの故障。各建物のポンプの故障や、暖房機の故障などなど。そして基本的には70年代に構築されたシステムなのである。温水を蜘蛛の巣みたいに街全体に張り巡らしてあるのだから、50年近くも使用してきて、サビと老朽化は避けられない現状なのである。現代建築のアパートはそれを嫌って、各個に温水供給機を設置したり、オール電化にしてみたりと、色々とやっているみたいだが、毎月のコストが非常に高額になるので、普通のロシア人にはとても手の届くものではないそうだ。月に10万円以上も暖房費がかかるんじゃあね。庶民でいいや庶民で。
 ということはですよ、この温水供給システムがなんらかの理由で故障して、うちのアパートに来なくなったら、一体全体どうすればいいんだあああ! 一晩過ごすのも命がけになると思います。温水が供給されなくなったら、とりあえずウオッカの瓶を持ってデモに参加しよう。
 そして毎年4月から9月まで温水は供給されない。政府によって決定されているそうだ。その間、シャワーは水を浴びろということだ。
 
 

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記憶と旅のエッセイ

  • 2017.01.06 Friday
  • 20:08
 僕はカリニナ通りアパートにいる。何をしているのかといえば、本当は小説を書くつもりで、ロシアにやってきたのだが、またいつものごとく詰まってしまい、この文章をパタパタと書いているのであった。
 今日はいい天気で、暖かい。マイナス11度の昼下がりである。パタゴニアの3レイヤーのジャケットを着込んで外を歩いていると、少し汗ばんでくるほどの気温だ。
 冬のロシアのアパートは、小説を書くにはいいところだ。
 温水暖房でホカホカの部屋の中はジーンズにTシャツだ。書くのに飽きたら、レモンティを作ってテラスに出る。テラスは薄いガラス窓一枚で建物の外だから、窓を開けると、今ならマイナス11度まで温度が下がる。湯気の立っているレモンティのマグを左手に、手巻きタバコを右手に持って、外の空気を吸うのである。
 あまりにも寒くて、まともに一本のタバコを吸いきることができないのだが、頭は本当にスッキリする。この極寒テラスでの一服はたまらない。

 ということで、最近、日記みたいな文章ばかりを綴っていましたが、ロシアにも慣れてきたので、ここでは旅のエッセイについて、少し省察しながら、書きたいと思います。
 旅のエッセイはどう書くべきか? 
 我ながら昭和の臭いが漂う題目を書いてしまったが、そんなのはもちろん自由に書けばいいのだ。しかし自由に書く、と言っても、いくつかの書き方に分類されるかもしれない。時間を軸にとって考えてみる。
 アームチェアートラベラーという言葉があったように思うが、現代はiPhoneひとつあれば、世界の何処でも行くことができる。そのデジタル情報を文章化すれば、旅のエッセイが書けなくもない。実際には地勢的にあるいは歴史的に旅する処について、旅に出る前の旅のエッセイである。
 そして旅に出て、リアルタイムにトラベルログのようなものを書くこともできる。細かい数字とか、地名とか、そういうものを書き留めるのと同時に、その新鮮な記憶をどんどん文章化してしまうのだ。
 そして最後に、旅から戻って、いくらかの時間が経過して、旅の記憶を辿りながら文章を書いていく。これが一般的な書き方だと思うが、どれくらいの時間が経過したら書き始めるのか、というのは個人の趣向に従うほかなく、どのような旅のエッセイを書きたいのか、という目的にも関係性が生じるのである。
 すぐに書けば、記憶は新鮮さを保っている。写実的な文章を書きたければ、そうすればいい。 一方かなりの時間が経過して、旅の記憶の大半を失ってしまった。その状況でも旅のエッセイを書くことができる。それは失敗ではない。むしろ記憶を失うことによって、部分が切りとられることによって、芯の強い文章が生まれるかもしれない。
 時間の経った旅のエッセイを書く。
 記憶を掘る、そして描写する。記憶の大半は失われている。しかし残存している記憶には何かの意味があるはずだ。最初はうまく立ち上がらない。しかし記憶の断片に集中していると、失われたはずの記憶が、次第に細かな周辺のディテールまでが、蘇ることがある。なぜその記憶が未だそこにあったのか、その意味は僕にはわからない。
 そして僕は旅のエッセイを書く。想像とは違う記憶の立ち上げ方をする必要がある。それはあくまで旅の記憶を辿るという行為に他ならないのだ。
 しかし旅のエッセイを書くようになると、旅の記憶の仕方、すなわち旅の仕方に影響が出るのではないか、という危惧が発生する。それは本当に危険なことです。
 
 

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