神保町いもや

  • 2012.02.02 Thursday
  • 12:23
 昭和62年に千駄木の家賃2万7千円のアパートに住んで、御茶ノ水にある駿台予備校に通っていた。風呂なし、トイレなし、日当たり一切なしの3重苦のぼろアパートは戦前の建物で南側にマンションが建っていて全体に日が当たらない。
 大家さんはちょっと変わり者のばあちゃんで、決して悪い人じゃないんですが、わりと小言が多い人でした。
 朝5時に突然、部屋のドアがチャと開くと、大家さんが手拭ほっ頭姿で部屋にはいって来た。当然ノックなし。彼女は顔色ひとつ変えずに、寝ている僕の布団の上をまたいで通過していくと、窓の外の中庭の物置にある掃除道具を取り、今度はもう一回、僕の上をまたいで振り向きざまに、
「もう朝だよ。いい加減起きたらどうだい。あら、畳に灰皿なんかおいて。寝タバコ禁止だよ」
チャ、ドンドンドン(廊下を歩く音)。行っちゃった。
 何の因果関係も不明のまま、早朝にたたき起こされた僕は、小言が頭にこだましてなんだか腹が立ってきた。布団敷いたら枕元に10cm位のスペースしか残らないのに、他の何処に灰皿をおけって言うのか。それに昨夜は隣の部屋の東大生(中国人留学生・スポーツ刈)が男ばかりの飲み会をはじめたので、うるさくて寝れなかったのだ。
「かんぱーい(中国語)」
「*;×、アイヤー」
「&%+ハオマー、×△」
そして夜中を過ぎた頃から飲み会はエッチビデオ鑑賞会に様変わりした。その音が気になって、気になって、結局、僕が寝たのは明け方4時であった(女優のあえぎ声と鑑賞中の中国人の息遣いまで聞こえた)。
 当時の東京は華やかりしバブル時代の絶頂期だった。その時代の東京山の手線内で家賃3万円以下のアパートというのは、安いねーとか、よく見つけたねーとかいう上滑りな世辞なんぞ何の意味も持たない、人が住めるか住めないかの瀬戸際の代物でした。下水道の土管の中に住む、という例えが最も適切かもしれない。梅雨の時期に布団はカビてくるし、夏は蚊の攻撃と暑さと湿気で寝むれない、冬は日が当たらないので寒くて足の指が凍傷になった。さらにあるとき、あまりにも頻繁に出てくるゴキブリを追跡して壁の隙間を覗き込むと、中で何かたくさんの黒いものがウヨウヨと蠢めいている。これってゴキちゃんの巣?なんじゃ、この空間は! 僕はすぐさまボンドを買ってきて、壁の隙間をふさぎました。一方、隣の中国人留学生との壁はダンボール一枚程度の遮音効果しかなくて、朝に夜に彼のたてる全ての音が聞こえてきます。
(シュッ)
あ、中国人、ティッシュとったな…。
(チーン、チ、チ)
鍵の付いてないドアなんて、あってないようなもの。大家さんがいつでも好きな時に入ってくるしね。
 そのアパートから千代田線に乗って御茶ノ水の駿台予備校に通った。千駄木からお茶の水は10分とかからない。
 午前中の授業を受けたあとに、昼飯はいつも学食で定食を食べた。その定食というのが、不味い。今、思い出してもむかっ腹が立つくらい、不味い。メニューは毎日変わるので栄養バランスだけはそれなりに考えられていたようだった。そしてご飯大盛りは無料だった。
 当時の駿台の教室には3人掛けの長いすと長机が並べてあった。椅子も机も極端に狭いもので、机の面は小さなテキストを載せたら筆箱も置けないくらいの狭さでした。もちろん椅子に背もたれなんて付いてない。化粧板と鉄パイプだけで作られた、昭和30年代を髣髴とさせるような机と椅子でした。さらに問題なのは、机も椅子も床に固定されていないこと。教室を見渡すと、前から後ろまでぎゅうぎゅう詰めに机が並んでいる。机と机の間は信じられないくらい狭い。だから学生は授業が始まる前に教室にやってきて、机を前後にずらして自分のスペースを確保する。少しでも余裕のある環境で勉強したいのは誰でも一緒です。ある日、授業に遅刻していったら、席のスペースが極端に狭くなっていて、細い女の子がやっと入りこめるくらいの隙間しかない。前も後ろもビッチリと埋まっていて、どうやっても机を動かすことなんて出来ない。仕方がないので、何とかその隙間に滑り込んで授業を聞き始めたが、前後の机に腹を圧迫され、途中で気持ち悪くなり授業を早退してしまった。遅刻してきて早退。それに懲りてからは、必ず授業開始10分前に教室に入るようなり、まず前後の机をずらして自分のスペースを確保するようになった。当時の駿台予備校は、もし地震が起きたらどうやって逃げればいいのだろう、と恐怖感を覚えるくらいにたくさんの学生を教室に詰め込んでいました。
 ところで浪人生活の唯一の楽しみである昼飯の話に戻ると、駿台の定食に飽きたら明治大学の学食に行ったりしました。山の上ホテル横の明治大学校舎は現在の高層ビルではなく古い建物で、表通りから外階段を下りるとパティオに続いて学食があった。メニューは忘れましたが、駿台に比べると値段が高くて量も少なく、味もそれなりだったと思います。でも、浪人の身分で花の大学キャンパスで昼飯を食べている、というだけでドキドキして、よそ行き気分を味わいました。ランチを食べている女子大生がとてもキラキラして見えた。隣のテーブルにはジーンズ姿の男子学生が女子大生と話しながらお昼ご飯を食べている。
(いいなあ)

 予備校の授業は選択科目によっては午後に時間が空きました。そして幸運にも懐に僅かなお金があるとき、坂を下りて神保町の交差点に向かいました。
 途中に古本屋がある。僕は店先の100円のカゴにへばりついて、ひたすら、立ち読みした。古本のページはセピア色でカビ臭かった。
 次から次へと古本を立ち読みしてゆく。立ち読みだけなら、三省堂みたいな新書の書店でも出来るはずなのに、なぜか古本屋に通っていた。本が欲しくなった時、新書だと高くて買うことが出来ないのが嫌だったのだと思う。
 神保町交差点近くから水道橋に向かうと、いもやがある。まず天丼いもや。その先を左に入ると奥に天ぷらいもや。水道橋のほうに歩いていくと、とんかついもやがある。これら3つのお店が当時の僕にとって神保町のご馳走でした。一番よく行ったのは天丼いもや。店の暖簾には、天ぷらいもや、と書いてありますが、僕らは天丼いもやと呼んでいました。
 天丼いもやのメニューは天丼とエビ天丼の2種類です。ご飯は申告制で大盛りは無料。しかし大盛りを頼んだらご飯食べ残し厳禁、という暗黙のルールがありました。僕はいつもの「天丼ご飯大盛り」を頼みます。
 カウンター内にいる二人の職人は寡黙に仕事をこなしています。天ぷらを揚げ、丼にご飯を盛り、お腕に蜆の味噌汁を注ぎ、揚げたての天ぷらをご飯の上に並べ、つゆをかける。すばやく無駄のない動きです。職人が天ぷらにつゆをかけるときは、ジュッと音がたつ。間髪いれずに、湯気の立った丼を客に手渡してくれる。出来たてのホクホクの天丼が目の前にきたら僕は息も切らずにそいつをかっ込む。天ぷらは揚げたて、ご飯は炊きたてです。
 こういう迅速な手仕事の料理って、美味しい。出来立てが手から手に渡ってくる。簡素な料理で大して高価ではない食材を使っていても、できる範囲の中で美味しく食べてもらおう、という気持ちと手仕事が詰まっている。本当に美味しいです。どんなに手の込んだ料理も、この手渡しの旨さには、なかなか敵わないと思う。
 駿台予備校の浪人時代は、神保町いもやのお陰で今はとてもいい思い出です。
 


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六本木 東京ミッドタウンukafe とワタナベさん

  • 2011.12.20 Tuesday
  • 13:48
 12月は忘年会とかクリスマスパーティとか人の集まる機会が多くて楽しいです。先週の土曜日は六本木のミッドタウン東京に行ってみました。ドレスアップした人たちがたくさんいてワイワイした雰囲気で楽しくなりました。
 東京ミッドタウンにukafeというカフェがあります。ガレリアというビルの2階にサロンやショップに併設されてあります。ukafeはモデルクラブやサロンやショップそしてカフェなどを経営するグループ企業だそうです。経営者はワタナベさんという方で、あの界隈で知らない人はいないのではないかという有名人。あなたも思い出しましたか? 麻布のワタナベさん。僕にとっては部活のいっこ上の先輩です。
 ワタナベさんは背が高くて素敵な男性。お洒落だし雰囲気は変わっていないけれども、今はやさしくて柔和な印象の大人です。
 とても有名な方ですから、ご存知の方はご存知だと思いますが、昔のワタナベさんといえば……本当に怖かった。クラブのいっこ上の先輩というのはそういうもんなのかもしれませんが、未だに目を見て話せない(ひええ)。
 みんな、ワタナベさんの店に行こう!東京ミッドタウンukafe! 今は優しいよワタナベさん。
(次は男磨というサロンの方に行ってみます)

ukafe
http://ukafe.info/
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神保町にいきたい

  • 2011.12.13 Tuesday
  • 12:34
 半日仕事が終わり東北自動車道を東京へ向かった。神保町に行くため。昔にくらべると古本屋の数は減ったが、新刊の書店はまだまだ元気な感じだ。
 神田三省堂本店に入った。店内は混雑していてなかなか活気がある。一階の新刊棚にへばりついて本をパラパラめくって読んでみる。川上未映子さんの小説の冒頭部分に魅かれて購入決定。スススとあっちの棚へ移動する。自己啓発本タイトルのエッジーさが目に刺ってきた。手に取り少し眺めるが、どやどやしていて読んでいられなくなり本を閉じる。申し訳なくなり棚を整頓して他の場所へ移動した。社会学本の単語の秀麗さに驚く。最後は医学コーナーで仕事用薬辞典の領収書を切ってもらった。
 トートバックを引っかけている左肘が痛くなってきた。時計を見ると2時間たっている。エスカレーターで降りて店を出た。右手にバックを持ちなおすとずしりと重い。
 神保町の交差点へ向かった。平日だから天丼いもやが営業している。小路を覗くとサブちゃんラーメンは開店準備をしているようだ。熊さんと呉服の相方は元気に働いているのだろうか。
 山の上へと坂を登った。
 中学生時代はときどきお茶の水駅で降りた。友達と一緒に夏期講習や模試の申し込みをするために予備校へ向かった。駅を降りると、明治大学構内の白いタテ看板が目に付いた。大きな黒い文字で何か書いてある。複雑な言葉は落書きみたいに見えた。漢字が難しくて僕には意味がよく理解できなかった。大学生はあんなものを書いて何がしたいのだろう、あんなことして何の意味があるのだろうと思った。先日、映画『ノルウェイの森』を見たとき、大学構内を学生デモ隊が走り回っているシーンがあった。そこにはタテ看板が乱立していた。
 中学生時代はギターを弾いていて駅周辺の楽器屋で弦や楽譜を探した。渋谷よりも品揃えがよく値段も安かったのである。僕はリッチーブラックモア・モデルのピックを買うかどうか悩んだ。死ぬほど悩んだ。250円。鼈甲色の5角形で硬い感触のピック。ヤマハの水滴型の白ピックは50円で買える。しかしチョットやわで弾きにくいし、アンプから出る音にも不満だった。そしてレコード屋に何時間も入り浸っていた。LP盤を手にとっては見つめていていたが、当時のレコードは3000円近くしたので、とても気軽に買えない。ジャケットをみつめて、みつめて、そこでは買わずに貸しレコード屋に行った。聴きたいレコードのジャケットはすっかり覚えていた。
 坂を下ると山の上ホテルあたりから古本屋がはじまる。店先の1冊100円のカゴにへばりつく。当時50円のカゴもあったと思う。投げ込まれている本の表紙は焼けて丸まり、ページに鼻を近づけるとカビと埃の臭いがした。
 坂を下りきると正面に三省堂がある。神保町はかなり変ってしまったが、神田三省堂本店は昔のまま健在している。何しろたくさんの本が置いてあるし、質問をすると、店員さんが親切で的確なのが素敵です。
 


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銀座と月食

  • 2011.12.12 Monday
  • 12:50
 12月10日土曜日は銀座に行きました。銀座2丁目のホテルをとって、銀座の夜を満喫してみようと考えたのです。
 ホテルについて荷物を置いたら、まずは銀座伊東屋に向かった。店の前まで歩くと銀座通りから見える店内は大混雑している。その人だかりにつっ込んでいくと、クリスマスカードや年賀状のコーナーがあった。階段を上ってスケジュール帳売り場についたら、こちらもなかなかの混雑ぶり。師走の銀座の大混雑はいいですね、嬉しくなりました。
 ぶらぶらと文房具をさがした。買うものが決まっているのではなく、いいものを見つけたら、買い、というお買い物。ノート売り場で手帳サイズのスケッチブックを見つけました。黒の革表紙でとじゴムがついて、中はノートを入れ替えることが出来る。画用紙のノートをリフィルとして買い足した。ざらりとして風合いのよい手帳です。旅行鞄が少し重くなりそうですが、書き込みたくなる、かわいい手帳がふえました。そして混雑にもかかわらず販売員の女性は丁寧に商品を説明してくれた。
 夜は友人と合流し西銀座へと向かう。店を探していると、オーバカナル前には人だかりが、そして皆一様に夜空を見ている。ケータイで写真をとっている人もいる。
「あり、なんでみんな空を見ているのかな」
つられて見ると、藍色の空に灰黒色の月が浮かび右舷の端だけが白く輝いている。
「あ、月食だ」
「日食? 月食?」
「月食だよ」
「銀座と月食ね」

僕らはしばし月を見ていた。雲が出ていなくて月食はよく見えた。そのあとにいった居酒屋さんはとてもおいしかった。


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西荻窪 西荻南に やじま皮膚科 新規開業いたしました

  • 2011.11.10 Thursday
  • 22:17
 私事にて失礼いたします。妹が西荻窪駅南口に「やじま皮膚科」を新規開業いたしました。
 院長は、心穏やかな3児の母であり、皮膚はつるつるです。花の東京は西荻窪在住の皆さまのニーズにまったりとお応えできるのではないかと、一族内私事ながら妄想する次第です。どうぞよろしくお願い申し上げます。

やじま皮膚科  
 http://www.yajima-hifuka.com/pc/index.html
〒167-0053
東京都杉並区西荻南3-19-7
電話: 03-5941-9881
FAX: 03-5941-9891

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男子校の教室で 80年代の授業中

  • 2011.09.21 Wednesday
  • 19:12
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 僕の時代の男子校の教室というのは、もう完全にニキビ面の男だけの世界で、それは一句で言ってしまえば、キタネーという他ありません。その当時はオブー! という言葉を使っていました。
「いい加減オブいから、お前ら部室掃除しとけ!」「ういーす」
なんて感じかな。
 80年代だったので、教室にクーラーなんぞという贅沢品はありませんでした。夏の昼下がり西向きの教室の凄まじい暑さと、そのオブさについての記憶を、我が脳内に立ち上げようとすると……もう四半世紀も前のことなのに、勝手に胸に込み上がってくるものといえば……腐臭! 
 男子校の教室に漂う腐臭の原因というのはたくさんありますが、まずは生ゴミですね。食い散らかすんです当時の男子高生は。
 その頃僕が通っていた男子校では、早弁当たり前の世界でした。2時間目と3時間目の間の休み時間にゆっくりと早弁すれば、全く問題ないのですが、そこはニキビ面の男子高生、それまで我慢ができません。だから2時間目授業の9時半頃になると、もう我慢ならなくなり、思わず筆箱を基礎にして教科書をパーテンション代わりに机の上に立て(高度なテクが必要)、机の上に弁当箱を開いて首を丸めて弁当をかっ込んでいました。
 もちろん授業をしている先生は気が付いているでしょう。気付かないわけがありません。だから見つかってはいるのですが、先生が「こら、やじ○! 授業中に弁当食うな! このバカもん!」と事切れる前に食べ終わっちゃえばこっちのもんだぜ、という暴れん坊将軍的な正面突破作戦でとにかく弁当を早食いするわけです。いわば授業中に早弁を早食いしていたんですね。そんなことをやっているから、ご飯粒に玉子焼きの端っこやら豚の生姜焼き汁やらが床に散らばります。弁当をかっ込みながら、その落し物を隠匿するために足蹴にしてドベーッと床に擦り付けたりしてね。それでもって後できちんと床掃除をしようなんていう殊勝な心掛けは微塵もなく、夏の男子校の教室の暑さで翌日には床からプウンと臭いが発ってまいります。ああオブ。
 年に一度は授業参観という行事がありました。お母さん達がわりとお洒落して男子校にやってくるんです。僕のクラスメイトにはたまたま某有名女優の息子がおりまして、その有名女優見たさと女優参加のお茶会に行きたくて、素人のお母さん達がかなり気張って男子校にやってまいります。そして一張羅のドットの紺色のワンピースに黒いパンプスで、腹をガードルでこれでもかと引き締めて背中を伸ばして教室に入ってくると……!? なんて汚いのかしら此の教室は! まるでゴミ溜めみたいじゃない、ドブみたいな臭いもするし! というわけで授業参観の前にお母さん達が掃除を始めまして、やっと教室が1年ぶりに綺麗になったということを記憶しております。そのとき副担任の先生の喜びようといったら、
「やっと、教室が清潔になった。俺は毎週授業参観やりたいよ」早稲田卒文系男子の若い先生でしたが、そんなことを僕らに漏らしておりました。本音だったんでしょう。さらに「だって俺のアパートより汚いんだぞ」
 そして2時間目の終了時には、もう弁当は食べ終えてしまっているので、休み時間に校内の購買部でパンを買うか、裏門を抜けてキクヤというパン屋にパンかカップラーメンを買いに行っていました。まあ、よく食べましたね。その当時、広尾駅の聖心女子大の近くに開店したシェーキーズでは、僕ら男子校生が行くと一人分量20ピースが当たり前で、大体30から40ピースくらい食べるもんですから、一時期昼のランチ食べ放題はウチの男子校生は出入り禁止になっていたと思います。550円でLサイズのピザを5枚も食べられたら、採算が合うわけないですよね。いくら聖心のお姉さまたちが上品に小食でも。
 しかし本当によく食っていたと思います、あの頃。


夏は仲見世に浅草寺だ

  • 2011.09.13 Tuesday
  • 13:06
 まだ残暑が厳しい毎日ですが、皆さんは如何お過ごしでしょうか。昼間の栃木県佐野市は、車の温度計だと35度を越えています。アチャー! 
 この暑さに負けないようにするには、どのように過ごせばよいのか? と色々と考えてみましたが、ある日脳内に良きアイデアが沸き立ち、実際にやってみたら、意外と気持ちがよかったので皆さんに御報告したいと思います。

 真夏の太陽がさんさんと照りつける下、仲見世を通じて浅草寺に行く!

 あほか! そんなクソ暑っ苦しいことやってられるか! という賢い読者の方々もおられるかと思いますが、これがなかなかいいんです。本当にクソ暑くて。
 雷門をくぐると真夏の昼間の仲見世は、灼熱地獄です。しかしカジュアルな外国人観光客も多く、街はなんだか庶民的な雰囲気で、江戸の良き時代に迷い込んだ趣があります。だから丸の内だ銀座だ、と洒落た街をしゃなりしゃなりといい格好して歩く辛さはありません。それ故短パンにTシャツ、麦藁帽子とビーサンに手拭という井出達がイナセな町に良く馴染みます。(セッタもちろんOK!)浴衣に下駄も最高です。甚平については、アレは部屋着だから街中に出るな、という女子の意見もあるので愛好男子は一考が必要です。
 そして真夏の仲見世を、ペッタンペッタンとビーサンを鳴らしながら歩きます。仲見世はご存知の通り買い食い天国です。氷イチゴとか小倉アイスとか蜜豆とか焼餅とか、選び放題食い放題です。ラムネも清清しくて気持ちのよいものです。手拭で噴出してくる額や項の汗を拭いながら、満足ゆくまで買い食いいたしましょう。そしてズイズイと仲見世を進んでゆくとクライマックスにたどり着きます。陽炎に揺れる巨大な赤提灯、そう浅草寺です。ここまできたら、せっかくですからにお参りをいたしましょう。すでに汗は満腔より吹き出しております。新しい手拭をバックから取り出して、いや仲見世の土産屋でキッチュな手拭を買ってもいいですね、そんなに高いものじゃありません、どちらにしても新鮮な手拭が必要になる。それでまた首元だの背中だの顔面だのを、拭いに拭います。
 もう、体中汗だらだらで、シャツはべちゃべちゃで、あのいかがわしいオヤジ臭も吹き飛び、むしろ投げやりな汗がさらさらとしてくる頃、おもむろに仲見世を外れてすしや通りを目指しましょう。そして小路を奥へ入ると蛇骨湯があります。そう銭湯です。昔ながらの良き雰囲気が残る蛇骨湯は、真夏の浅草のオアシスと言ってもよいでしょう。しかしそこは下町の銭湯。ナメてはいけません。お湯の温度に熱い江戸っ子魂が潜んでいます。アチャー! オラは江戸っ子じゃなくて栃木県民だからこんなに熱い湯には入れん! でも、下唇を噛み、入魂しながら、しびれる足に力を込めて、なんとかお湯に入って、もう熱過ぎて何が何だかわからなくなってくると、不思議に暑さが気にならなくなります。そして、風呂上りにはお決まりの瓶入牛乳を一本買い求め、右手を腰に当てたら胸をむんと張って一気に飲み干します。もちろん口をすぼめて小指を立ててヤクルトをチュウとやるのも風情があるといえるでしょう。
 そうして、ひとっ風呂浴びて外に出ると、夕方を迎えた浅草に、涼しい風が流れてくるような気がいたします。水臭くなるまで汗をかき、お湯で流してすっきりとしたお肌と気分で、昼の喧騒は過ぎ去り店じまいを始めた仲見世を横目に東武浅草駅を目指します。そうして最後にくぐる暖簾は、それはもちろん焼鳥屋です。ボンジリにねぎ間にキュウリの一本漬けに枝豆と冷やしトマト。これをつまみにビールのコップをギューっと飲み干すと。プハー
「やっぱり夏は仲見世に浅草寺だ」

今時の高校生と80年代の高校生の放課後

  • 2011.09.08 Thursday
  • 14:24
 えーと、正直に申し上げれば、今の高校生の間で、何が流行っているとか、どんな風に考えるとか、どうやって喋るとか、僕には皆目見当がつきません。
 草食系男子なんていう言葉やそれを象徴とする内的でナイーブな生き方も、そろそろ時代を象徴しなくなっているのかな。まあ若い子達というのは、「俺らは上の世代とは違うんだ!」 という主張を鎧のように纏って全身で表現するのが業のようにも思えます。
 僕が高校生だった80年代を振り返ると、ファッションはトラッドとかハマトラ(古くせえなあ)が下火になり、サーファーみたいなファッションやモードなファッションをする人がポツポツと出始めた。ヨージヤマモトとかコムデギャルソンがパリコレで大成功を収めて、シンプルで黒い服が世界中を席巻していた時代でした。学生服の下にギャルソンの白いシャツ着ている、なんていうのがとてもお洒落にみえた時代ですね。
 その頃の東京は、お嬢さんや名門に通う女子大生がもてはやされていました。もちろん今もある程度はそういう風潮が残っていると思います。しかしあの頃のキラキラぶりは尋常ではなかった。いいかえれば、育ちがいいとか、金持ちの家に生まれたとか、そんなことがもてはやされた時代だったということです。
 貧乏国が豊かになってゆく道のりを感じさせますね。なにせほとんどの人が貧乏だから、家柄が良ければいい事があるのにちがいない、と庶民は夢みていたのでしょう。今から考えれば、実際にはちょっとぐらい家柄が良くたって、大して変わりはなかったんですけどね。とにかくみんな貧乏なんだから。
 好むと好まざるとにかかわらず、今の日本はグローバルな世界に属しています。だから日本の中で比較的いい家に生まれても、才能を持たない人はキラキラできなくなりました。今は個の才能が全てです。東アジアの果ての島国のある家柄なんて、世界に通用しないです。そう考えると、まっとうな時代にかわったといえるかもしれません。
 でもこれだけ日本社会のボロが出始めると、若い人はやる気が無くなってしまうかもしれませんね。おじいちゃんやおっさん達がやりたい放題やっちゃった。その後始末だけが残っているような気がするでしょうね。年金問題とか、医療費の問題とか、国の債務の問題とかね。そう、それは全て僕らを含めた大人が悪いんです。僕らはそれを変えられなかったし、日本社会のマジョリティに属して弱い立場を装う人々の抵抗というのは凄かった。今も凄いです。それは未来の大人になる若い人に責任を押し付けて、チョロまかしてきた悪しき現代日本社会の産物です。だから大人の言うことなんて聞かねえ! という若い人の主張は理解できます。
 ところで僕の時代の高校生の放課後というと、それはとても楽しかったです。学校が港区にあったので、放課後には5人で一台のタクシーに乗り合わせて渋谷に行き、センター街でセーラー服の女子高生に声をかけたりしてね。そのまま喫茶店に入って、全員友達になったりしてました。そんなの日常の出来事で、下品なことでも悪いことでもなかった。(少なくとも僕らの常識では)あと図書館にも良く行きましたね。有栖川公園にある都立中央図書館。そこは当時高校生の社交場になっていました。食堂でまずいカレーを食べながら友達の知り合いの女の子を紹介してもらったり。出会いの場が無いなんて悩みは持った事がありませんでした。一日に何人でも知り合いが増えていくわけですから。
 でも恋愛するのは今と同じで難しかったと思います。みんなスゴい勢いで出会っているから、友達はどんどん増えていく。そんな感じだと、素敵な女の子に知り合えても、他のカッコイイ男の子が割り込んできて、それで付き合い始めちゃうんですネ。だから、いつもおいてきぼりにされたような気持ちを抱えていました。出会いが沢山あっても恋愛ができるというわけではないと思います。もちろん出会いが全くないよりは可能性があるけど。
 合コンは大学生になってからよくやりました。当時はアルバイトでお金が稼げたので、バイト代は全部それに使っちゃいました。最近は合コンをやるなんて、ギトギトと欲望丸出しで恰好悪いと思う男の子が多いのかもしれません。でも合コンといっても、結局は人と知り合う場なわけで、見合いだろうが、図書館だろうが、飲み会だろうが、サークル活動だろうが、幼馴染であろうが、はたまた路上でナンパしたのであろうが、ネットゲームやSNSで知り合ったのだろうが、同じことです。男の子は女の子を探して世界を彷徨い、そして女の子に出会うのです。(男と女を入れ替えてもOK!)
 彷徨わない人は生き物として信用できないな。
 今時の高校生は放課後に何をしてるのだろう。お願いだから、ママにと一緒にごはん食べに行きます、なんてのはやめてほしいな。

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