白と黒の中間 

  • 2014.10.02 Thursday
  • 17:26
 「大切なことは、白と黒の中間にある」
池波正太郎のエッセイに書かれていた一文である。
 前後関係を書かずに一文だけ抜き出すのはフェアじゃないと思うが、僕の記憶において、スポットライトが当たっている一文である。
 初めて読んだときには意味がよく解らなかった。僕は20代で、医者になったばかりで、仕事を覚えるために毎日忙しく働いていた。そして池波さんの本を夜中の当直室のベッドで読んだ。
 物事を白か黒に、鮮明に分け隔てることはできない、という意味なのかなとその時は思った。確かに逆に考えれば、そんな風に簡単に割り切れるものというのは限られている。壁で囲った中だけの話になる。
 池波さんの言葉は続く。
「その中間の大切な部分をすっぽりと落としてしまって、白か黒か、ばかり主張しているようでは、後が知れている」
これは抜粋ではなく僕の記憶にある文章である。原文は違うし、絶妙のはずだ。あくまで僕がそのように記憶しているということである。江戸っ子の池波正太郎の文章を、僕は気持ちよく読んだ。
 僕は頭を上げた。良いのか悪いのか、と決めつけるのも同じことなのかな、と考えた。そんな判断をいくら積み重ねても、後が知れているということか。
 良性腫瘍なのか悪性腫瘍なのか、というのがある。
 脂肪腫は良性で、骨肉腫は悪性だ。しかし医学的には、腫瘍の種類は膨大であり、その性質は個々に特異的で、分類すら困難な場合がある。その性質をたったひとつの悪性度というスケールに転写するのは無理がある。遺伝子が完全に狂って悪性新生物になってしまった癌細胞と、我々と同じ遺伝子を持つはずの良性の腫瘍細胞という古典的分類法はあるものの、やはり悪性度を明瞭に2つのグループに分かつことはできない。その境界線の付近はとても複雑に入り組んでいて、比較的悪性とか、比較的良性だと思います、みたいな曖昧な表現を医者が使ったことを覚えている方もいらっしゃると思う。
 旨い、不味い、というのもある。料理を旨いか不味いかだけで評するのはちょっと平板に感じる。材料に始まり、焼き加減や塩加減、甘い辛い、シンプル、豪奢、地勢や気候、等々、料理の要素は多元的である。朝の目玉焼きひとつだって、個人的な趣向が各々にあると思う。何か食べさせてもらって「おいしい」と作り手に伝えるのは、礼節だと思うが、そういう善導的態度ばかりだと先がない。
 今、世界を震撼させているのは、イラクとシリアにまたがるイスラム国の台頭である。異教徒を殺すは善、という神話的なムスリムのジハード(聖戦)の大規模な実施に、キリスト教や他の宗教、宗派違いのイスラム教を信仰する人々までが敵対することになってしまった。サラセンの海賊にクリスチャンが虐殺された歴史が繰り返されるかのようである。ローマ法王の代りにアメリカ大統領が関与せざるを得なくなった。christian girlは怒っている。誘導ミサイルの標的は、最終的に当然、人である。異教徒を殺そうとする人そして殺した人。
 この現実において、どちらが善でどちらが悪なのかということを議論してもほとんど意味がない。互いに善だと主張するだけだ。
 実際に何をよりどころにして、彼らに関わっていくのか。遠い世界のお話のように、歴史的に交じることのなかった我々は、白でも黒でもなく、夥しい灰色の選択をしていかなければならないのだろう。


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