ロシアのバナナの旬

  • 2017.04.22 Saturday
  • 20:40
 もう4月である。1月のロシア旅行から時間が経って、細かなディテールは忘れ始めている。
 マイナス30度で道路が完全に凍る街を旅してみて、僕はいくつかの経験を得た。
 一つは防寒着の重要性である。
 日本のウルトラマイクロダウンで突入したら5分と持たない。ビーニーも厚手の物が必要だ。そして凍っている道路を歩くのは、足が強くないとなかなかできないと思う。特に下り坂が危険だ。 そして建物の中は温水暖房でホカホカである。内外の気温差が50度ある。建物のドアを開けると空気が音を立てて交錯する。ビュッとカマイタチが通る。
 カリニナ通りのアパートの近くには中央市場があった。広さは築地の魚市場並み。商品を山積みにした小さな店がぎっしりと並んでいるが、サラミなどの豚肉加工品、チーズ、魚、お菓子、肉、野菜など、それぞれが専門店でとても賑やかなのであった。
 ところで、こういう極寒の地で、果物は何を食べているのだろう、ふと疑問に思った僕は、果物屋を探した。ラズベリー、ブルーベリー、りんごが目についた。りんごは赤だけではなくて洋梨のような色をしているのも人気である。そして、ここロシアでもバナナがスーパースターなのであった。店の商品棚の中央には、黄金色のバナナが鎮座していた。
 バナナの産地は南国である。フィリピン、エクアドルなどが有名だ。日本のスーパーマーケットに並んでいるバナナも、ロシアのバナナも、輸入品だから基本的に同じものが陳列されているのである。
 僕はママと市場に来ていた。日本人は市場でぼったくられるかもしれないから、心配だから一緒に行く、と案内してくれているのである。ママはロシア語しか話せない。僕のロシア語はカタコトだ。ほとんど会話にならないのだが、そこはやはり家族だから、なんとかなるのである。
 そしてママは僕の挙動に常に目を光らせているのだ。
 僕は果物屋の前に立って、物色し始めた。
 おお、スイートスポットがほどよく浮いた小ぶりのフィリピンバナナがあるじゃないか。甘くて旨そうだ。ロシア人もいいバナナを食べてるんだなあ。僕はフィリピンに手を伸ばした。
「ニェット!」
突然、ママの警告が出た。(ニェット)とは(だめ)という意味である。
「エータ!」(これ)
ママの手の先には大きなグリーンのエクアドル産のバナナがあった。
 えー。小くて黒ずんだフィリピンの方が絶対美味しいと思うんだけどなあ。皮が薄くなってて、香りが強くてしっとりとして、甘くて美味しいバナナはこのフィリピンだと思うんだけどなあ。僕は勇気を振り絞り、カタコトながらママに抵抗を試みた。
「エータ、ハラショー」僕はフィリピンを指した。
「ニェット、エータ!」ママはエクアドルをしっかりと指している。そのバナナは緑色でロボットの指みたいに四角くて固そうだ。
 こういう時のロシアの女の強さは半端ではない。ヨーロッパでも手に負えないので有名だ。ロシアの女は元共産主義大帝国の王女であり、大砲大好きであり、プライドの高さはユーラシア・ナンバーワンである。基本的にプリンセス気質なのだ。もしあなたが結婚するのなら、僕はウクライナの女性をお勧めする。見た目は大体同じだが、一般的に言って性格が優しいのである。ウクライナの女性は、男と揉めても、割と途中で諦めて従ってくれるのだ。しかし、今、僕が対峙しているのはロシアのママである。歯向かっても全くかなわないから、ママのいう通りに僕はエクアドルを買ったのであった。5本で500円。うわっ高いなあ、ウクライナ危機後のルーブル安で強烈なインフレ渦中のロシアなのであった。 
 チーズとサラミやチョコレートなども買い、カリニナ通りのアパートに帰った。
 バックからエクアドルバナナを取り出す。どっしりと大きくて硬い。不味そうである。サーフボードみたいに緑色でテカテカしている。
 一本剥いてみる。皮が硬い。嫌な予感がする。パクッと食べてみる。もぐもぐ、もぐもぐ。うーん、青臭い。甘くない。香りも少ない。こんなまずいバナナ久しぶりに食べた。どうしてママはこのエクアドルがいいというのだろう。
 とにかく熟成させないことには、どうにもならないバナナなのであった。見渡すとアパートの中で一番良さそうなのは温水暖房の上である。暖房機の上に木の棚があるので、僕はそこにバナナを置いた。

 翌日、僕はカリニナ通りのアパートでいつもの如く小説を書いていた。冬のロシアのアパートは小説を書くには素晴らしいところだ。パタパタと仕事ははかどり、そして一服したくなった。
 僕は暖かいレモンティを淹れた。ロシアンケーキをいくつかと手巻きタバコを持ってテラスに出た。テラスはリビングから2重ドアを通って出られるようになっている。室内は28度、テラスはマイナス20度だ。
 ふと、暖房機の上の棚を見ると、昨日のエクアドルがあった。
 あれ、何か様子が違う。
 テラスから戻ってきてバナナをよく見ると、色は黄味色に変化していた。たった1日しか経っていないのに。まだスイートスポットは出ていない。しかし全体的に黄色が濃くなって、皮がシナっと乾燥している。オーガニックな佇まいである。僕は一本とった。皮をむく。柔らかい。香りはそれほどでもないが、中の白いバナナがやや黄味がかっている。僕はかぶりついた。ほっくり。甘い。すごく甘い。食感は金時焼き芋に似ている。タイの屋台で食べた揚げバナナを思い出す。
 なんなんだろう、この変化は。冬の日本のリビングにバナナを置いても、食べ頃になるのに1週間はかかるはずだ。
 僕はバナナを置いていた木の棚に触れてみた。暖かいというよりは、木が熱くなっている。50度はありそうである。そして熱気がどんどん還流している。日本のリビングにはこんなに暖かい場所はない。
「そうか、バナナの低温ローストか」
そうなのだ、ロシアの温水暖房の上というのはオーブンと同じなのだ。バナナにゆっくり熱を加えることで、ほっくりと甘くなる。一日で焼き芋や揚げバナナみたいな仕上がりになるのだ。
 これは旨い。旨すぎる。僕は残りの4本を一気に食べてしまった。
 そうか、ロシアのバナナの旬は冬だ。
 そして僕は考えた。エクアドルを選んだのは、スイートスポットの出ているフィリピンバナナだとすぐに悪くなってしまうから、というママの気遣いだったのであろう。ママ感謝。
 僕はさっそく市場に出かける用意を始めた。バナナを大量に買い置きしよう。
「ママ、バナナ、フクスナー。スパシーバ」(ママ、バナナ美味い。ありがとう)
「パジャールスタ」(どういたしまして)
 


JUGEMテーマ:旅行



コメント
コメントする








    
この記事のトラックバックURL
トラックバック

calendar

S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< October 2018 >>

selected entries

categories

archives

recent trackback

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM