医学部受験と医者

  • 2018.03.23 Friday
  • 22:18
 医学部受験がここ数年、大変なことになっているらしい。
 すべての医学部の偏差値が軒並み上昇して、例えば私立の慈恵会医科大学は70を越えている。日本医科大学は67.5、東大理3は76.8という空前の値だ。なんじゃそりゃ。聖マリアンナ医科大学も64。す、凄いな。
 昔と比べて、偏差値に大きな変化が無いのは東大理3だけ。その理由は今も昔も日本一の難関だからで、その他国公立大学の医学部や私立医大は大幅アップ。これじゃあ、本当にガリ勉じゃないと医学部に入れないじゃないですか! 偏差値だけを見ていると東大理2よりも慈恵医大のほうが難しい、というのも凄い。
 僕は昭和の時代に東邦大学医学部に入学した。まあ、当時の東京受験界では、「東邦かあ、医学部だからまあまあだけど、ちょっとアホかも・・・」くらいの感じで、可不可なし、という程度の評価だったと記憶している。偏差値も52から55くらいだったと思う。
 でも、医学部に入ってからの勉強は本当に大変だったし、ちゃんと勉強しないと間違いなく留年するし、国家試験に落ちてしまう。勉強量が凄いので途中で鬱病になり、落第してコースから外れていく人もいる。なかなかハードな理系の勉強の世界。
 
 僕はニューヨークにいた。20世紀末のニューヨークは、寛容で自由なメトロポリタンであった。
「仕事はなにしてんの?」
「医者、東京で」
「へえ、お前、頭良いんだなあ」「サラリーいくら?」
「10万ドルくらいかな」(当時は1ドル120円ほど)
「ふーん、まあまあいいじゃん。でもアメリカの医者は給料高いぞー」
「いいなあ」
「おい、あそこのハゲてる男、見えるか? あいつはパソコンソフト会社の社長で、資産1000億円あるらしい」
「1000億円!」「スゲー」
世紀末のニューヨーク、ネットバブルがおきる前夜であった。

 区立小学校の教室。窓から春の光が机を明るくしていた。今は漢字テストの時間である。生徒はいっせいに机に伏して漢字を書いていた。
 僕は左右に伏し目を走らせた。そして左隣のエミちゃんを捕らえた。僕は小声でささやく。
「勉強してくるの忘れた」
「・・・」
「ひとつもわからない」
「・・・」
「ゴメン、エミちゃん、ちょっとだけ見せて」
「しょうがないわね、ヒロシ君、早くして」
エミちゃんはガンガン漢字を書きながら、体を少し起して解答用紙を机の右側にずらしてくれた。ちょっとクセがあるけれど、黒い丁寧な書き方の漢字の正解が丸見えであった。エミちゃんはクラスで2番か3番の成績優秀のかわいい女子。僕は必至に書き写した。ありがとう、エミちゃん。この恩は一生忘れない、と小学生の僕は心の中で叫んだ。彼女は井ノ頭公園の近くのミッション系大学の付属中学校に進学した。
 昭和のセピアな時代であった。

 ストックホルムの夏は素敵だった。僕は何人かとテラスでビールを飲んでいた。スウエーデン人の英語は何となく間延びしてのんびりとしている。夕方から飲み始めていま何時なんだろう。空はまだ明るい、いつまでも明るい。
 僕はヨーロッパの学会に参加していた。僕の発表は会場の関心を捉えなかったみたいで、質問する人はゼロだった。拍子抜けしてしまったが、壇上から席に戻ってホッとした。なぜなら質疑応答の英語にまるっきし自信が無かったからだ。
 すぐ後にイタリアの女性医師が発表した。これがとても面白い内容で、発表後に質問が殺到した。イタリアの女性医師は、多分、研修医ホヤホヤなんだろうなぁ、と思える程に、若くて美しく、そして英語があまり上手ではなかった。相当にがんばって質疑応答していたが、4人目くらいのゲストのアメリカ人が鋭い質問を連発した。強く舌を巻きまくるネイティヴスピーカーの彼は、早過ぎて何を言っているのかよくわからない。まるでチンピラが巻きながらかわいい女子を不当に虐めているみたいにみえる。ヨーロッパに来てしまうと、アメリカ英語なんてそんな扱いなんだなあ、と僕は感激してしまった。そしてイタリア女子は真っ赤になって、最後、言葉に詰まってしまった。
「代りにお答えします」会場の後ろで手が挙がった。イタリア北部の大都市の有名なプロフェッサーだった。少しはにかみ気味ながらプロフェッサーは英語ペラペラであったが、イタリア訛りがきつかった。でも僕にはわかりやすかった。
 イタリア人は日本人にそっくりだな、と思った。

 「あなたの発表はとても素晴らしかったわ」
発表のあとのパーティー会場で僕は声を掛けられた。ノーベル賞で有名なホールである。僕の後に発表したイタリア女子だった。近くで見るとセレブみたい。
「ねえ、英語の発音がとても綺麗だった」
「あれはね、英語の原稿をマッキントッシュのソフトに読ませて、その音を真似したんだ」
「なんていうソフト?」
「そういえば、君の発表はとても面白い内容で、実は僕も質問があるんだけど」
「それよりイタリア語、教えてあげよっか。よーし、今からイタリア語で話そう」
パーティー会場だと、イタリア女子はだいたい地球の中心みたいな感じだ。全然日本人に似ていない。
「イタリア語で何か言ってみなさい」
「ワタシはイタリアで、豚のT–Boneステーキを食べるが夢デス」
「あれ、結構、大きいのよ」
「1kgくらいなら、独りで食べられマス」
「凄いじゃない。ミラノに来たらおいしいビストロに連れてってあげるわ」
「ええ、本当! お願いシマス!」
世界はiPhone誕生前の時代であった。

 僕は夏のロシアにいた。夕方にビストロをめざして歩いていた。大通りの歩道はデコボコなのでついつい下ばかり見てしまう。日本人は猫背だなー、と言われない様にがんばって胸を張る。周りを見渡すと大股で歩いているのは若いロシア女子である。体格のいいロシア男もいるはずなのだが、なぜか歩いているのは女子ばかり。ほとんどミニスカにピンヒールでちょっと不思議な光景である。ロシアの街はヒールが痛みそうでなんだか怖い
 iPhoneとVISAカードはジーンズのポケットに入れてきた。パスポートや滞在許可証は持っていない。
 行きつけの店に到着した。こんにちわ〜。僕は小腹が空いているのであった。今日はいつもと違うもの頼もうかな。テーブルにはロシア語のメニューがあった。それを開いて、僕はiPhoneを取り出した。グーグル翻訳でビデオ画面のままロシア語が英語に翻訳される。wifiがなくても大丈夫。もう本当に一瞬でロシア語のメニューを隅から隅まで理解出来る。よーし、特製黒パンとボルシチを頼もう、それからベラルーシ風ピロシキも旨そうだ。ボルシチは赤かぶのスープで、ピロシキは肉入りの揚げパンである。
 黒パンに赤いスープが入っていた。スメタナというサワークリームが添えられている。赤、白そして黒のコントラストがとても綺麗であった。そして僕はピロシキにかぶりついた。あちち。モグモグ、モグモグ。どこがベラルーシ風なのかよく分からないが、アンは挽肉と玉ねぎにジャガイモである。手作りの新鮮なコロッケみたいに美味しい。本当に美味しい。今日はコーヒーじゃなくて、やっぱり紅茶を頼もうかな。
「温かいレモンティ下さい」
ズズー。はあ〜。やっぱりその土地の本来の飲み物は説得力が違う、ピロシキに抜群に合うのであった。みっつもたべちゃった。満足だ。もう食えねえ。
「会計おねがいします」テーブルにカードリーダーがきて、VISAカードを挿入し暗証番号を打ったら終了であった。
 そういえば、ロシアでは伝統的に医者と学校の先生の給料は安いらしい。昔、スターリンがそういう風に決めてしまったそうだ。農業とか工場で働くのが尊いのである、医者とか先生はそれなりに大変なのは分かるが、そんなに尊くない、というか威張るな、という観念なのだろうと思う。

 
 
 

 
 

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